いわゆるの使い方がおかしい
最近、周りの「いわゆる」の使い方に違和感を覚えます。
周りの、といっても日常会話で「いわゆる」なんて使わないので、
ほとんどテレビに出てる人たちの使い方です。
違和感を感じた例
最近覚えてる範囲で2点例を出すと、
- いわゆる国民の気持ち
- いわゆる被災者がお互い助け合う気持ち
です。
これを見てどう思いますか?
私はとても違和感を感じます。
「いわゆる」なんてつける必要全くないじゃん!
と突っ込みたくなります。
このような言い回しを
テレビのアナウンサーや有識者が日常的に使っています。
特に最近、「いわゆる」が連発されているので
余計気になるんですよね。
いわゆるの正しい使い方とは?
私のイメージでは、「いわゆる」って、
- いわゆる歩行者天国
- いわゆるアキバ系アイドル
- いわゆるオレオレ詐欺
のように、多くの人は意味は知ってるけど
日常的に使われない言葉を使う時につける感じです。
「俗に言う」と言い換えても意味が通る場合です。
上の3つは、「いわゆる」を「俗に言う」に言い換えても
(私は)違和感を感じません。
でも、最初の例で挙げた2点を言い換えると
- 俗に言う国民の気持ち
- 俗に言う被災者がお互い助け合う気持ち
となります。
・・・やっぱりヘンだと思うんですよ。
いわゆるの辞書的な意味
いわ‐ゆる〔いは‐〕【▽所×謂】
[連体]《動詞「い(言)う」の未然形+上代の受身の助動詞「ゆ」の連体形から》世間一般に言われる。俗に言う。よく言う。「―独身貴族」「これこそ、―瓢箪 (ひょうたん) から駒というものだ」
引用:いわゆる【所謂】の意味 – 国語辞書 – goo辞書
「いわゆる」の後には、知る人ぞ知るような超難解な言葉でない限り、
どんな言葉がきても文法上間違ってることにはならないはずです。
ただ、「いわゆる」をつけることで
文章に違和感を感じるような場面では使うべきではないと私は思います。
そもそも、「いわゆる」なんてつけなくても意味は通じます。
私が正しいと思って挙げた例だって、
「いわゆる」なんて無くても全く問題ありません。
その程度の連体詞を多用する意味はあるのか?ということです。
まとめ
ぶっちゃけ、
お前ら「いわゆる」を言いたいだけなんとちゃうんか、
と。
実際「いわゆる」の検索ボリューム(みんながよく調べる検索ワード)を調べると
【いわゆる 使いすぎ】というキーワードが出てきます。
私が違和感を感じた例のように、アナウンサーなどが
不要な場面で使っていることが気になる人は少なくない、
ということだと思います。
私は、若者が新しく言葉を作って、それが定着して広辞苑に載る、
という流れはそんなに気になりません。
でも、正しい日本語を使うべきアナウンサーや有識者が
ヘンな言い回しをするのは、どうしても気になります。
皆さんはどう思われますか?
たぶんアナウンサー自身が、国民の気持ちを知らないから使うんだと思いますよ。
「(僕が調査したわけじゃないし、なんか根拠があるわけじゃないけど…、)俗に言われている(よくテレビで使ったりしている)国民の気持ちというのは(別に僕はこれが国民の気持ちだっておもってないけどね)」って意味で使ってるんじゃないですかね。
コメントありがとうございます。
確かに、おっしゃる通り「国民の気持ち」に関しては
そう考えることもできるんですが、
明らかに意味が通らない用法もめっちゃ見かけますよ。
昔からアナウンサーたちが多用している言葉ならともかく、
これほどの多用っぷりは最近になってからの話なので、
ただ単に一部のアナウンサーの間で口癖になってるだけだと思います。
コメントした者です。
コンプライアンスというか、自主規制の関係だと思いますね。そういう意識からいっぱい使ってしまうのだと思います。
だからと言って、アナウンサーとして間違った言葉を使うことこそ間違いです。
なるほど、確かにそういわれてみれば心情的に少し分かる気がします。
間違った言葉といえば、
新しい世代の子供たちが使いやすい言葉を造語するのすら問題視されることがあるのに、
お手本になるべき人が間違った言葉を使うのは大問題ですよね。
「いわゆる」に関して名前挙げるなら、
宮根さんとかスゴイんですが、誰も指摘できないんだろうなぁ・・・。
私もずっと感じていました。
いわゆるの違和感を周りの人に訴えても、あんまり同感してくれなかったので、あなたの記事を見て、ほんとそう!!!と共感いたしました。
まとめにもあるように、賢そうに聞こえるからただ使いたいだけなんですよね、きっと。
ラジオでもテレビでもみんな使いすぎ。
いわゆる無くていいやん!って私もいつも心の中でツッこんでます。
コメントありがとうございます。
私も周りの人にこのことを話しても、
「別にあまり気にならないけど・・・」なんて言われることもありました。
でも、困ったことに一度気になると「いわゆる」が出てくるたびに
心の中でツッこんじゃいますよねw
しかも、ツッコミたくなる対象の人ほど多用するので
余計気になってしまうという悪循環です(´Δ`)
正しい用法で使っている人もいるのですけど、
そういう人の場合、テレビ出演中、1回使うか使わないか位なのですよね。
まぁ、用法上、普通はその位の頻度に
収まらないとおかしいのだと思いますけど・・・。
主張はわかります。
ですが、私は貴方が文中で述べられている「違和感を感じます」という表現も不自然だと思いますよ。
人の言葉の誤りを指摘する文章で、上記のような表現をされると、全く説得力がありませんよ。
「違和感を感じる」で検索してみてください。
言葉の意味や用法については日々変化していくものですが、
今回私が紹介した「いわゆる」の使い方とはレベルが違います。
少なくともネット上では、「違和感は感じるものだ」と考える大人が
少なくないことが分かりますが、
今回紹介したようなアナウンサーの「いわゆる」の使い方に
賛成、共感する意見は今現在ではほとんどありません。
ここからは水掛け論になるかもしれないので最初に断っておきます。
貴方の中では同じ不自然さなのかもしれませんが、
私の中では全然違うということです。
初めまして。
所謂、「いわゆる」で検索していてコチラのサイトが引っ掛かって、それでなにか面白かったのでコメント残させていただきますね。
どうして「所謂(いわゆる)」を遣いたくなるのか? 私の場合がそうなのですが「所謂」と拘(こだわ)って切出したいから‥のように感じています。拘りは人それぞれの持ち味・カラーの基調をなす部分ですから、そうするとメディアの人たちの場合は無意識かも知れませんが「俺が・私が」を強調している気もします。
「所謂」には伝統的な日本人の誰もが同意するしかない(反論出来なさそうで)、いわゆる、日本人の無意識の横並び意識に訴えるのに都合のいい便利な魔法の言葉‥かも知れません。「あなた! (日本の)みなさんはもう並んでらっしゃいますよ。出遅れてしまってはあなたの恥じになりますから、それが私は気がかりです‥ !?」
いやいや、私の独りよがりかも知れません。失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
なるほど!そういう見方もあるかもしれませんね。
『いわゆるを多用』で検索して辿り着きました。
私もいわゆるに非常に違和感があり、寧ろ嫌悪感を抱くようになってしまいました。
私の場合は、職場の二人が多用していて、しかも全く関係の無い箇所に接続詞的な感覚で遣われてるのです。
もう何を話してても内容が頭に入ってこない程に辟易としています(笑)
テレビもそうですが、最近多用する人が多い気がしますね
コメントありがとうございます。
間違った使い方をしている人ほど、多用している気がします。。
困ったことに、一度耳につくと、もうそればっかり気になっちゃうのですよね。
私も、家族に「ちょっと気にしすぎじゃない?w」なんて言われちゃいました。
実際、テレビの影響はかなり大きいと思います。
私もまったく同じことを思ってました!
ミヤネ屋で気になりはじめて、
研修の先生も多様するので気になって仕方ありません。
正式名称があるものの、通称で呼ばれる場合使うのが「いわゆる」ですよね?
それしか呼び名がないもしくは、それじたいが正式名称のものにまでいわゆるをつけたがります。
間を持たせるための、スピーチで「えー」と言うように、いわゆるを使っていると思いますが
いわゆってない!と心の中で毎回つっこんでます笑
同じ感覚の方がいて安心しました〜
コメントありがとうございます!
>間を持たせるための、スピーチで「えー」と言うように、いわゆるを使っていると思います
まさしくその通りだと私も感じています。
ミヤネさんはまだあの癖直ってないのかな?
でも、「いわゆる多用」の感染拡大は、
少なくともテレビでは収まってきた感じはしております。
一時期色んな局のMCが使っていてヤバかったですからね。
さすがに関係者が指摘したのではないかと思いますが・・・。