「ほぼほぼ」という言い回しが嫌いな人
「ほぼほぼ」という言い回し、
ハッキリ言って私は「嫌い」です。
「だから何だよ、聞いてねーよ!」って
言われちゃうかもしれませんけど、
意外と気になる人は多いようですよ。
ほぼほぼの意味とは
言葉の意味に関しては、まぁ言うまでもないですよね。
まだ広辞苑などに登録されている言葉ではないはずなので、
実際の用法から察するに、
「だいたい」とか「おおむね」の意味に近い「ほぼ」を
強調した言い回しになっていることが多いですね。
なので、わざわざ「ほぼほぼ」なんて言わなくても、
「ほぼ」で十分意味が通じます。
厳密な意味を考えると、
「ほぼ」が90%を意味しているなら、
「ほぼほぼ」は95%を意味している、というイメージでしょうか。
ただ、「ほぼ」という断定的なイメージを
ぼかすために使っている人もいるらしいですよ。
この場合は、
「ほぼ」が90%を意味するのに対し、
「ほぼほぼ」は50%~90%を意味するそうな。
この辺は人によってイメージにブレがあるので、
相手に対して意図しない意味に取られてしまう可能性はありますね。
ビジネスでは?
現時点では辞書に登録されていない造語ですから、
当然避けるべき言い回しです。
プライベートですら「ほぼほぼ」という言い回しが気になる人が
いるくらいですから、ビジネスシーンで用いたら最悪です。
若者言葉とも限らない・・・
造語は大体が若者発祥なのですが、「ほぼほぼ」に関しては、
すでに中年にも受け入れられている模様。
私がテレビを見ている時、坂上さんも当たり前のように
「ほぼほぼ」なんて言ってましたね。
彼は「頑固一徹」とまではいかずとも、ヘラヘラしている若者を
一喝したり、昔ながらの礼儀を重んじる傾向にあるため、
その彼が早々に新しい造語を取り入れているのは印象的でした。
会社で上司が使っているのを目撃した人もいるようですし、
30代後半の同僚が使っていた、なんて話もあるようです。
抵抗がある人も少なくない
かといって、誰もが快く受け入れているわけでもなく、
「ほぼほぼ うざい(または嫌い)」などのキーワードで検索すると、
アンチの意見も少なくないことが分かります。
ちなみにですが個人的にも、「かなり」気になります。
まぁ私自身が、細かいことが気になる性格だったり、
あまのじゃく思考だったりするせいかもしれませんが・・・。
何となく、おちゃらけた感じがするのが嫌ですね。
若者が使うならともかく、自分より年上の人が使っていると、
心の中で溜息が出ちゃいます。
まとめ ~いずれ消え行く運命?~
「ほぼほぼ」は現状では、
かなり浸透している言葉だと思います。
ただ・・・。
実際、年齢問わずビジネス用語として
使われている人も案外いるようですが、
相手の気分を害する可能性のある言葉を
敢えて使うべきではないと個人的には思います。
後、これは完全に個人的な予想なのですが、
「ほぼほぼ」は将来ほとんど使われなくなる言葉だと思っています。
略語になっているわけでもなく、ムダに長くなっている上に、
「ほぼ」、「だいたい」、「おおむね」とほぼ同義なので、
目新しさ以外の利点がほとんど無いからです。
(「ほぼ」の強調という意味すら実用例としてはブレている模様)
というわけで、「普通に」のような息の長い言い回しには
ならないのではないかと。
5年後くらいに、「ほぼほぼ」が常用語として使われていたら
その時はコメントでケチをつけてください、謝りますw
おっしゃる通りだと思います。
ほぼほぼ、
ただただ
など、40過ぎの人が使うと、そんな言葉を違和感なく使うなんて…と悲しくなります
フェイスブックで見ることがよくあるので、最近はフェイスブックを含め、あまり見ないようにしようと思っています。
後は…「なので」という言葉も
◯「私はおじさんなので〜です」
✖️「私はおじさんです。なので〜です」
と使われると悲しくなります。
コメントありがとうございます!
私が学生の頃、ら抜き言葉を使っている生徒に対し、
えらくうるさく注意していた国語教師がいたのですが、
今ではその教師の気持ちが分かる気がします。
ただ、当時は自分も未熟でしたので、
「細かいことに拘るなぁ(うるさいなぁ)」と感じていたのは事実なので、
気になる日本語を使っている人がいても、注意はしづらいですよねぇ。
でもせめて、テレビに出る人達は影響力があるので、
正しい日本語を使って欲しいと思う限りです。
「私はおじさんです。なので〜です」という言い回しは、
もしかしたら最近の「ネット上で読みやすい文章のノウハウ」に入っているせいかもしれません。
「接続詞で長くなっている文章は読みづらい。だから途中で区切れるところは区切れ!」
という話は、アフィリエイトやブログ系のライター経験者ならよく耳にしているはずです。
※ネット上の情報は、新聞と違って学生や主婦層も少なくないので、
ライトな文章で書かれているものが多いですから、
それを見た一般の方も知らず知らずにそのような言い回しをしているのかもしれません。
実際、私も意識的にそういう書き方をするようになっているので(もしかしたらこのブログでも)、
ちょっと頭が上がらない部分もありますね・・・。
↑の文章も、このようなコメント欄ではなく、記事として書いていれば、
以下のような形にしていると思います。
>※ネット上の情報は、新聞と違って学生や主婦層も少なくないので、
>ライトな文章で書かれているものが多いです。
>なので、それを見た一般の方も知らず知らずにそのような言い回しをしているのかもしれません。
以上、長文失礼いたしました。
こんばんは、返信ありがとうございます!
私の文章、勘違いさせてしまいました!
「なので」は、接続詞としては使ってはいけないという例です!
これは、私も学生時代学校の先生から教えていただいて・・・
「そして」「だから」「それで」で区切るのは、読みやすい文を作る上で必要だと思います、わかりにくくて、すみません!
別のお話ですが、先日、歌丸さんが、
「食べれる」などのら抜き言葉が分かっていない奴が落語を話すなんて、とんでもない。
基礎・基本ができていない者が言葉を平気で使うのが許せない
とおっしゃってました。
話し言葉で話すときはそれでも良いかもしれませんが、落語という場所では、ダメなんだろうなと思います。
歌丸さんも、そのような人なんだと感じ、うれしかったです。
今の時代の言葉に違和感を感じるのは、私たちだけではないようです!
これまた、関係のない話なのですが・・・
「スイーツ」は「デザートだろ!」と、吠えたくなります。
もしくは、「ケーキ」とか、「マカロン」とか・・・具体的に言うのは良いと思いますが、
「なんだよスイーツって!キーー」となります。
すみません、こんな話もなかなかできる方がいなくて、ついつい書いてしまいました。
コメントありがとうございます!
お返事が遅れまして、申し訳ありませんでした。
「なので」を接続詞として使ってはいけない、というのは初耳です!
私も今まで知らずに使ってきていました・・お恥ずかしい。
これはかなり広がっている誤用になりますね。以後気をつけようと思います。
言葉は変化していくもので、広辞苑なども時代に合わせて変わっていっているようですが、
少なくとも辞書的に認められるまではできるだけ誤用はしたくないものですよね。
「スイーツ」って言葉がメジャーになりだした時は、私もデザートと何が違うのか、
ちょっと混乱してしまいました。
今では、「デザート=果物、ケーキなどの菓子=スイーツ」なのかな、
などと勝手に解釈していますが、真相は謎のままです。
私が最近気になったのは「マイスター」ですね。
「マスター」のドイツ語版だと思っていたのですが、
最近のテレビだと、専門家や精通した人のことを「マイスター」と呼ぶことが多く、
何が違うのかよく分かってません。
大して意味が違わないなら「マスター」の方が分かりやすいだろうに、
何となく「今風」を演出したくてわざと使っているように感じております。
54歳会社員です。
私もほぼほぼという言葉は大嫌いです。
最近もうちの会社に商談にきた、どう見ても私と同じ50代の営業マンがほぼほぼを使いました。
もちろん一切何も契約しませんでした。
若い人が使うので聞きたくないのに50代が営業に来て使うとは驚きです。
日本語は綺麗な表現が多くて本当に日本人で良かったと思います。
なるべく正しい言葉を使いたいですね。
コメントありがとうございます!
私も聞くのは嫌ですが、若者言葉なら少なくとも若者に関しては、
ある程度しょうがないかなぁと思うのです。
ですが、記事にもある坂上氏もそうですが、若者のお手本になるべき人まで使っていると、
ガッカリ・ウンザリさせられますよね。
私も丁寧語、謙譲語、尊敬語など含めて日本語が完璧と自負できるレベルではありませんが、
仰る通り、やはりできるだけ正しい言葉を使っていきたいと思います。
ほぼほぼ、ミヤネ氏が決め台詞としてやたら使ってる印象ですね。
確かに若者言葉だけというわけではない。テレビの人は、若者でなくとも若者語(というかテレビ的単語)をよく使いますからね。「噛んだ」とか。
無意味ワードの「普通に」をさりげなく指摘してるのも素晴らしいですね。自分はあれ、「いわゆる」より無駄に使われてる言葉だと思います。
ところで老害思考ではなく、懐古、古臭い思考ではないですか?
ネットではそういったこと全てを、老害老害と連呼して気持ちよくなっている人もいるようですが、少なくとも辞書的に認められてはいない。
老害:硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること。 と辞書にはありますが、ブログ主さんは指導者でも高齢者でもないでしょうし。
軽い自虐で使っているだけかも知れませんが、それなら主さんに共感している人も老害?
辞書的に認められるようになっても、こういった差別的な言い回しはどうかと……。何を言っても害と言い捨てられて、将来どんどん発言権が無くなっていってしまう。
最近は、古いことや、年長者をことさらに侮辱するような人間が多いので、彼ら自身や、
もしくは新しいだけで害のあるものが「若害」「幼害」などと呼ばれることが定着したなら、まあお互い様で差別ではなくなるのですが、結局貶し合いになるだけですね。
「劣化」もそうですが、「害」なんて簡単に人に言うような言葉ではないと思います。
「言葉は変化する」という決まり文句がもありますが、別に全てがいい変化というわけではないですから。
自分たちがだけが正しい、若い方だけが、新しいものが正しいとレッテルを貼れるような、特定の人物層への無駄な煽りと敵意に満ちた、
まさにニコニコの記事で主さんが指摘したようなネットの現状を象徴する単語だと思います。
老害の特徴wwwみたいな世代叩き、それこそ低俗まとめでヒット数を稼ぐために毎日生産されていますからね。
ゆとりの特徴wwwも、同世代としては腹立たしいのですが、「害」より言葉だけはマシですね。
まあ最近では、数年前のマンガを褒めただけで老害とか、ますます訳の分からないフレーズになっていますが……。
言葉尻に長々と失礼しました。主さんの記事には肯かされる点が多いです。
「ほぼほぼ」には自分も違和感がありますし、特定動物の愛護はエゴだと思いますし、フリーザ様は過大評価されているといえば確かにそうかも。
またいい記事を期待しています。
コメントありがとうございます!
「老害」という言葉についてですが、おっしゃる通り、
軽い自虐の意味を込めて使用ました。
というのも、今回の記事内容について
「まま、そんな細かいことはどうでもいいじゃねーか」
「新しい物を素直に取り入れられない頑固者なんだね。。」
という風に考える方は少なくないでしょうし、
そのような気持ちも全く分からないわけでもないからです。
ただ、自分を軽く貶めるつもりで書いたものの、
共感する方に対しても老害と認識されてしまうことにまでは
頭が回っておりませんでした、申し訳ありません。
後で修正させていただきます。
そういえば、「ゆとり扱い」についても
個人的には結構気に掛ける機会が多かったので、
これについて私の思うことを記事に書いてみようと思います。
当ブログの記事をいくつか読んでいただき、
また、長文のコメントも励みになります。ありがとうございました!
ご返信ありがとうございます。また、修正までしていただき恐縮です。
「細かいことを気にする人」「新しいものを取り入れられない頑固者」と思う人がいるのは理解できますし、間違った表現でもないと思います。
そのあたりの表現で事足りるのに、簡単に害とか言っちゃうのがネットのノリの良くないところだなと思っています。
自虐が入ってたら蔑称もOK、みたいな風潮はありますよね。情弱とか、コミュ障害とか、件のゆとりを自虐にも使うとか。自分も気付かないうちにやってしまっているケースもあると思います。
上に挙げたような蔑称も、「ゆとり扱い」も、「新しい物」ですよね。新しい物なら良い、という訳じゃない良い例だと思います。
主さんが次の記事でご指摘の通り、ゆとり扱いを一番しているのも最近のネットな訳です。言い出したのはマスコミですが、派手に追従しちゃってますね。
ただ反発を招くだけのゆとり扱い、いい加減にした方が良いと常々思っておりますが、ネット上ではかなり反論もなされていますね。
一方で、「バブル」や「団塊」も、軽い気持ちで(もしくは悪意を込めて)悪口として使われていることが多く、加えてあまり反論もされていない。
バブル以前にも今より環境が悪い、技術が後れているなど悪いことは沢山あったわけで、苦労を知らなかったわけではないだろうけど、その辺はあげつらう方にはどうでもいいわけです。
団塊が意見したらやっぱり頭が固い、バブルがミスしたらやっぱりバブルは無能だ、とかはじめから決めつけがちですよね。
上世代があまり発言しないせいか、ネット上では多数派による差別のような状況だとも言え、これらのレッテル貼りも指摘されるべき問題を抱えていると思いますね。
「就職難を生きたから暗い」はあまり言われていないですね。「これだから氷河期は」との叩きは、他の世代と比べたら聞かない。苦労している、という印象があるからでしょうか。
「ゆとり」は未来の若者からも、上を差別する単語として使われるようになるでしょう。バブルや団塊と同じように、別に若者を叩くためだけの単語じゃないんですよね、これ…。
いずれにしても、上からでも下からでも、世代で括って批判するのはやめた方が良いとあらためて思いました。
ゆとり世代というか、「特定の世代を特徴化するのは悪しき差別」なのでしょうね。
コメントありがとうございます!
結局のところ、「その辺はあげつらう方にはどうでもいい」に尽きると思います。
ただ見下したいだけであったり、都合の良い悪口として利用しているだけであったりで、ほとんど中身が無い印象です。
個人的には「ゆとり」は年上が年下を叩くための言葉じゃないという点は盲点でした。
仰る通り、ゆとり教育廃止後の世代が、少し上の世代をバカにする言葉としても使われる可能性がありますね。
そうなると上の世代からも下の世代からも「ゆとり」の呪縛から逃れられなくて、余計に不憫に感じます。
「ゆとり世代」は「団塊の世代」よりも、(悪い意味で)限定的に使われやすい印象がありますし、世間から忘れられるべき呼称のように思います。
私も先日調べた限りでは、「ゆとり扱いは差別」というような記事がネット上には思った以上に多かったので、少しずつこのような認識が広がると良いなと思います。
「団塊の世代」は、単に生まれた時期、生まれた人数が多い時期としてテレビメディアで耳にすることも多いのですが、ネット上ではやはり悪口としても使われているようですね。
例え悪意はなくとも、「特徴化=個人特有の人格を無視している」ことに繋がることが問題かもしれません。
「B型差別」なんて言葉があったような記憶がありますが、血液型による特徴化と同じと言えそうです。
44才医療事務職員です。
ほぼほぼと聞くたびにイラッとします。
上司も流行に乗っかってバカみたいに連発するので、よけいに耳障り。もう尻軽おっさんとしか思えない。
『ほぼほぼ』は、『ほぼ』の責任逃れだと思います。
幹部なら、もっと自分の言動に責任持つべき。
コメントありがとうございます。
いい歳こいた大人が若者言葉を使うだけでも気になるのに、
ビジネスシーンで、しかも連発となるとそれだけで印象最悪ですよね。
でも、個人的には耳にする頻度は少し下がってきた気がします。
もう数年以内に廃れていきそうです。
ほぼほぼは一部の方言の癖(日本語の潜在的特徴すなわち中国語)がベースにあり、舞台や講演会、プレゼンテーションなどで強調するためにつかっているやり方をそのままテレビに持っていったことによりさらに一般化した。
(特にお笑い芸人)
二回言う事で割合がかわる物言いは少数派であり、あくまて、ほぼ自体を強調するものです。
この流れは傑作、優秀を強調するため神業などと表現する事と似ています。
ちなみにアナウンス系、ビジネス系のほぼほぼは元々
ほぼ、ほぼありません
のように間があります。
それを見ている人が真似をしはじめて間が詰まり繋がりました。
コメントありがとうございます。
とても参考になりました!
質問です。
ほぼほぼ=95%
ほぼ=90%
多い=?
少なくない=?
おっしゃる通り私も「ほぼほぼ」が逃げ言葉に聴こえて嫌いです。ビジネスだと日本人特有の逃げ言葉としか感じれないからです。
それと同じく少なくないと言う言葉にも違和感を感じています。どうなんでしょうか…?
コメントありがとうございます。
私の場合「ほぼほぼ」については、逃げ言葉だから気になるというより、
一時の流行りで一部の人が使うようになった造語に過ぎないものを、
司会者やアナウンサーなど、正しい言葉を使うべき人が多用していることが気になっています。
反面「少なくない」に関しては最近できた造語ではないので、
個人的にはあまり気になりません(言葉自体に違和感はありません)。
ただ、回りくどい表現であることに変わりはなく、
仰る通り確証を持てない時の逃げ言葉に該当しているかもしれません。
ですから、ビジネスでこれを使われてしまうと説得力が下がるので
好ましくないですね。
私も「ほぼほぼ」という言葉を嫌がる人の人数を、
統計を取って割合を出して記事にしたわけではありませんので、
「少なくない」と、逃げ言葉として使ったことになります。
しっかり統計を取った話ではない点について、
個人のブログの限界ということでご理解いただけると幸いでございます。
「ほぼ」が90%なら、「ほぼほぼ」は「ほぼ」の「ほぼ」ですので、
90%×90%で81%になります
強調は強調でも欠けた10%を強調した結果、19%欠けている、そういう意味の言葉でしょう
それに抑揚無くほぼほぼと発声するのもヘンですよね
「ほ」ぼ「ほ」ぼ と発声するべきです